おはなし会「土地の人 旅の人」は、毎回ゲストを呼んで、テーマに沿って「自分」を語ってもらいました。また、集ってくれたみんなが自分を語りました。

★1998年9月3日記 (『土地の人 旅の人』はじめに)

宮崎駿の映画「もののけ姫」のラストシーンが忘れられません。少年アシタカがもののけ姫 (サン) に向かって、「そのままでいい、共に生きよう」と放った言葉に感動しました。

シャイニング・スモール・ストーンのおはなし会は、いろいろな世代の人が同じ空間で、 同じ時間 “そのままでいい”を過ごすおはなし会です。これからも、共に考え、共に語り合い、共に歩み、共に生きてゆきましょう。

私はおはなし会を催すときや、本を出すときなどに「シャイニング・スモール・ストーン」と書きます。会社でいうなら社名というところです。

「シャイニング・スモール・ストーン」という名は、「『希望』と書かれた小さい光る石」をイメージしてつけました。

そもそも私が「おはなし会」を開くことにしたのは、かたりべであり、文筆家でもある「はまなす文庫」の細川さんとの出会いと、大学の恩師である近代文学教授の大塚先生からの手紙がきっかけでした。

細川さんは自宅 「文庫」で、おはなし会「紅茶のつどい」、手作り工房「山猫」、かたりべの勉強会「おはなしのへや」などを開かれています。岩手県出身の細川さんとの出会いは、1994年9月21日、陶芸家主催の「イーハ陶房賢治忌」です。その日、細川さんは 「永訣の朝」「松の針」「無声慟哭」「雨にも負けず」の詩と、「虔十公園林』をかたられました。岩手の言葉の不思議な音色から宮沢賢治の足音を聞きました。

それから数ヶ月後、無性に細川さんに会いたくなって、娘と一緒に「紅茶のつどい」に出かけました。その時、私も「はまなす文庫」のような温かい空間を作って、「おはなし」の好きな人と同じ時間を過ごしたいと思いました。

また、その頃、大塚先生から、「・・・・・・世の中の変化は急速で教育問題もいよいよむずかしい問題を孕んで居ります。特に大学の志望者は、卒業後の就職を見越しての志望となっていることは、昔日とは大変な変わりようです。豊かな世の中になっていながら、内実は働くことさえ、いや働く場所を得ることも困難になって居ります。 無用の用なるがゆえに文学は無限に素晴らしいと思っている私の考えなど旧時代の化石にも等しいのかも知れません」という手紙をもらいました。この手紙がおはなし会を開くもう一つのきっかけになりました。

私が学生だった頃、そして、母校で働いていたときも、周りの先生から呪文のように文学を学ぶものにとって、「本を読まなかった日、何も書かなかった日、文学を考えなかった日は愚かな日だったと思いなさい」と言われてきました。幸い小さいときから、本を読むこと、文章を書くことは生活の一部だったので苦にもならず、今日まできました。

「人の心の、隠れた奥底の、さらにより奥底を描き出し得るのは哲学ではなく、文学である」という埴谷雄高の言葉を聞いたとき、「まさしく」と感銘しました。私は文学を心の拠所にして生きてきました。「無用の用なるがゆえに文学は無限に素晴らしい」 と信じています。

先生からこの手紙が届いたとき、自分の小さな力でも、どうにか文学の素晴らしさを伝えることはできないものかと考えました。しかし、自分のできることは限られています。実力も、立場においても。だから、できることから始めました。それぞれの人がそれぞれの立場で、それぞれのことをやる。それもまた大切なことだと思っています。

文学の素晴らしさをどうにか伝えたい。大人にも、子どもにも、夢や希望を忘れないでほしいと願い、シャイニング・スモール・ストーンの「おはなし会」を開くことにしました。

この会は年4回ですが、これでなかなか準備に時間がかかります。絵を描いたり、ワークショップの原稿を作ったり、「『おはなしだいすきの会』つうしん」を出したりしています。私たちの おはなし会は、集ってくれたみんな、配偶者、娘、両親、そして励ましの声を掛けてくださった恩師や友人に支えられて、6月に10回目を迎えました。「『おはなしだいすきの会』つうしん」もだいぶたまってきましたので、いつも土地の人と旅の人が集うことから「土地の人、旅の人」と題して10回記念冊子を作ることにしました。シャイニング・スモール・ストーンのおはなし会はみんなのおはなし会です。

おはなし会のプログラム

★土地の人 旅の人 第3回(2023年12月24日)

参加者:S.S.Stoneファミリー6人

1.サンタクロースっているんでしょうか?

「サンタクロースっているんでしょうか?」

そんな質問に、ピッタリとこたえた人がいます。 今から126年前のアメリカのニューヨーク・サンという新聞にでた社説です。これを書いたのは、フランシス=P=チャーチという同社の記者でした。ある日、 編集長はチャーチに、幼い筆跡で書かれた一通の手紙を渡して、この子への返事を社説に書いてみないかと言いました。 「8歳の子どもへの手紙を社説に?」 チャー チは、初めブツブツ言いましたが、やがて机に向かって書き上げました。その文章が『サンタクロースっているんでしょうか?』だったのです。この本は娘が生まれた年のクリスマスに黒部の心友から贈られた本です。その時から毎年この本を読んでいます。

きしゃさま

あたしは、八つです。

あたしの友だちに、「サンタクロースなんていないんだ。」っていっている子がいます。

パパにきいてみたら、

「サンしんぶんに、といあわせてごらん。しんぶんしゃで、サンタクロースがいるというなら、そりゃもう、たしかにいるんだろうよ。」

と、いいました。

ですから、おねがいです。 おしえてください。サンタクロースって、ほんとうに、いるんでしょうか?

バージニア=オハンロン

ニューヨーク市 西九五番街一一五番地

〈一八九七年九月二十一日 ニューヨーク・サン新聞「社説」>

ニューヨーク・サンしんぶんしゃに、このたび、つぎのような手紙がとどきました。さっそく、社説でとりあげて、おへんじしたいとおもいます。

この手紙のさしだし人が、こんなにたいせつなしつもんをするほど、わたしたちを信頼してくださったことを、記者いちどう、たいへんうれしくおもっております。

子どもから大人まで人々の胸を打ち続ける新聞記者のお返事とはどんな内容だったのでしょう。
一部を抜粋してご紹介します。
「この世の中に、愛や、人へのおもいやりや、まごころがあるのとおなじように、サンタクロースもたしかにいるのです」
「サンタクロースをみた人は、いません。けれども、それは、サンタクロースがいないというしょうめいにはならないのです」
「サンタクロースがいない、ですって?とんでもない! うれしいことに、サンタクロースはちゃんといます。それどころか、いつまでもしなないでしょう。一千年のちまでも、百万年のちまでも、サンタクロースは、子どもたちの心を、いまとかわらず、よろこばせてくれることでしょう。」
読んでいくと、この新聞記者がどれほど真摯に子どもの質問に答えてくれたかということが伝わってきます。また目に見えないものを信じることの大切さや豊かさを教えてくれるのです。

「サンタクロースっているんでしょうか?」

私の母は私の枕元に正月に履く下駄を置いてくれました。娘のクリスマスはサンタクロースへの手紙の返事を夫が毎年書いていました。プレゼントは、サンタクロースの国で作るものだから手作り感があるもの!ラッピングはデパート等の名前のないものを吟味しました。娘は中学1年の12月25日までサンタクロースはいると信じていました。その日、夜中にプレゼントを置くのを忘れてしまい、午前5時、プレゼントを枕元に置いたところを娘が見てしまいました。娘のサンタクロースへの手紙、夫(サンタクロース)の手紙は懐かしい思い出です。

今日のお話会の後、娘が言いました。「サンタがいると思う想像力。親の愛。それをひっくるめったサンタクロースは素晴らしい」と言いました。

さて、今晩、ももとけんにサンタクロースは来てくださるのでしょうか?

2.『おばけになったサンタクロース』朗読………ももとばば

作: 安田浩 絵: 磯田 和一 出版社: ひさかたチャイルド

「えんとつは ふさがっていても、まどやドアは かぎが かかっていても、おばけなら とおりぬけられます。サンタさんは うすい ふくをきて、じゅもんをとなえて、おばけになって プレゼントくばり。でも、あんまり さむいので…。」(出版社からの内容紹介)

3.クリスマスソング合唱

「ジングルベル」

「きよしこの夜」

★ハロウィンのお話会(2023年10月28日)

1.ハロウィンの話

ハロウィンの発祥は、2000年以上も前。ヨーロッパの古代ケルト人が行っていた祭礼「サウィン(Samhain)」が起源だといわれています。サウィンは「夏の終わり」を意味し、秋の収穫を祝うとともに、悪霊を追い払う宗教的な行事として、古代ケルト人の暮らしに根づきました。
ケルトの暦では、10月31日は1年の終わりの日であり、現世と来世を分ける境界が弱まる時。そして、死者の魂が家族のもとへ戻ってくる日としても信じられていました。
死者の魂とともに悪霊も一緒にやってくると考えられ、その悪霊に人間だと気づかれないように、火を焚いたり仮面を着けたりして身を守ったといわれています。この風習が、ハロウィンの代表的な習慣である仮装の起源となったそうです。

この土着信仰がやがてキリスト教と結びつき、キリスト教の諸聖人に祈りを捧げる「万聖節」の前夜祭として行われるようになりました。Hallowとは聖人を意味する言葉で、「諸聖人の日=All Saints’ Day」は「All Hallows」とも表記されます。

「ジャック・オー・ランタン」と呼ばれる、カボチャを用いて作られたランタンがたくさん飾られます。このランタンは一説には、ケルト人の文化が根強く残るアイルランドのある物語に由来すると言われています。
その物語のあらすじはこうです。

「悪事ばかり働いていたジャックという男が、生前自分の魂を狙った悪魔と『死んでも、地獄に落とさない』という契約を結ぶ。ジャックは死後、生前の行いから天国へ行くことはできず、悪魔との契約のせいで地獄に行くこともできない。行き場を失ったジャックはくり抜いたカブの中に火を灯し、今も彷徨い続けているという。」
物語に登場したのはカブ。なぜ今日カボチャが定着しているのかというと、ハロウィンがアイルランド移民によってアメリカに伝わったとき、アメリカではカブよりカボチャの方が入手しやすかったことが一説にあります。また、カボチャはカブよりもくり抜きやすく、ろうそくを中に入れやすかったという理由もあるそうです。ジャック・オー・ランタンには「悪霊を遠ざける」お守りの意味があり、カボチャの中味をくり抜いて中にロウソクを立てハロウィンの夜に窓辺や玄関に飾ざるともいわれています。

(「SKYWARD」参考)

ハロウィンと日本の行事である大晦日は、その日を一年の終わりとするという点で関係しています。ケルト人は、夏の終わりである10月31日を一年の終わりとしていました。一方、日本の行事である大晦日も、12月31日を一年の終わりとしています。また、ケルトの信仰と日本の信仰には、自然崇拝や多神教、死生観など、共通点がいくつもあります。日本でも、大晦日はお正月にやって来る年神様をお迎えするための準備をするというならわしがあります。

ももへのハロウィンの説明は「ハロウィンとは、昔からヨーロッパであった食べ物に感謝するお祭りのことだよ。この日はご先祖様とオバケも遊びに来る日なんだよ」でした。

★トリック・オア・トリート(Trick or Treat)

子どもたちが仮装をし、お菓子をもらいに家々を巡るトリック・オア・トリート。元々は、悪霊にも食べ物と引き換えに出ていってもらう習わしからきています。これがトリックオアトリートの起源です。

それと同時に、自分たちも霊の衣装を身にまとい、マスクをつけて悪霊を追い払っていました。

「トリック・オア・トリート(お菓子くれなきゃイタズラしちゃうぞ)!」と言われたら、「Happy Halloween!!」と返してお菓子を渡します。

ももへのトリックオアトリートの説明は、「食べ物をあげる代わりに悪いオバケに出ていってもらうんだよ」。どうして仮装をするのかは、「オバケと同じ格好をして、連れていかれないようにするためだよ」でした。

2.『だれ だれ?ハロウィン』朗読

ももとばばのお話会で何度も練習した本の朗読をしました。ももは各ページの「トリックオアトリート おかしくれなきゃいたずらしちゃうぞ」とだれだれの後の「こぶたちゃんでした!」など変身した動物の名前を言って、「ハッピーハロウィン」と言います。最後のリクガメさんの「みんなまって~!」のももの朗読で物語は終わります。

ももとばばは魔女の格好で読みました。ハロウィンの雰囲気を楽しみました。

3.それぞれのハロウィン

A:「ももができてから、仮想をしてハロウィンを楽しむようになりました。毎年、ハロウィンは家の一大行事、楽しみにしています。

Yj:自作「わすれんぼうのおばけ」朗読します。

K:「もものためによくあった日本の妖怪ろくろ首をやります。」

Y:「ももと練習していた本の朗読を2人でできて感激!」

4.オバケなんてないさ 作詞:まき みのり 作曲:峯 陽

★七夕の日のお話会(2023年7月7日)

7月7日七夕の日、「ももとばばのお話会」の拡大版を家族5人で開きました。何と20年ぶりの土地の人旅の人の集いでした。

夜空を眺めると星が見えます。ずっと遠くを観察するともっと星が見え、更に遠くを観察すると銀河がいくつも見えます。

更にもっと遠くを見て行くと、暫くずっと何もない状態が続き、最後にかすかに消え行く残光が見えます。

ビッグバンの残光です。ビッグバンの瞬間、宇宙最初期には、今、夜空で見えてるものの全てが恐ろしく小さく凝縮され、超高密度、超高温度の熱い火の玉でした。私たちの周りの全ては、そこから始まったのです。

一番星見つけた。見上げた夜空に星がたくさんまたたいていたとき、夕方ひときわ明るい一番星を見つけたとき、あるいは面白い形をした星の並びにふと気がついたとき…星座をたった一つ知るだけで、頭の上に広がる星空が今までとは違ったものに見えてきます。

望めば不思議な星の世界よ。星座は恒星の配置をさまざまな生物や器具に見立てたものです。古来さまざまな地域・文化や時代に応じていろいろなグループ化の方法や星座名が用いられ、 天球の区分としても使われています。やがて現在使われている88の星座が確立されました。 星占いの黄道十二星座は有名です。

1.七夕の日~星空は時を越えて

ももと練習していたパソコンでのスライドショーをしました。ももが一枚一枚マウスをクリックして次のページに画像を送ってくれました。途中から送りが早くなり、ばばは追いつけませんでした。

2.たなばたのねがいごと

『たなばたのねがいごと』は最近毎晩読んでいましたが、何度読んでも感動します。そして絵本ではあまり見かけない女の子と“おばあちゃん”の物語です。「こわれたり なくなったり しない もの? じかんがたっても だいじな もの? それって、なんだろう?」七夕の日、あおいは一生懸命考えました。

「短冊にこめたお願い」について素晴らしい教えでした。七夕の願い事をおばあさんと一緒に歩いて見つけたあおいちゃん。あおいちゃんとおばあちゃんの「いち、にい、さん」は、ももとばばの「いち、にい、さん」に似ています。

<出版社からの内容紹介>

【作者・村中李衣さんの言葉】
七夕に思い思いに記す願い事とは、その思いをずうっと忘れずに持ち続ける、そのために心や身体を尽くすこと
を惜しまないという、空に向けてのまっすぐな誓いのことばでもあるように思います。生まれてからそれほど間がないちいさなひとと、この世を離れるまでの時間がそれほどあるわけでもないおおきなひとが、歩調を合わせて「いち、にい、さん」と歩むことは、人生がまあるく繋がっていること、そのまあるい繋がりの中で、慈しみやいたわりが、途切れなく流れていくということではないでしょうか。読んでくださったみなさんが、それぞれのご家族の中で、愛し愛される優しい関係を育ててくださいますように

3.七夕の日の思い出

A:「毎年やっている七夕のことです。」

Yj:「『星に願いをかけて』 『ホシニネガイ』を作詞作曲したことかな。」

Y:「母親が近所の子供たちを集めて、七夕飾りを作って背戸から切ってきた大きな竹に飾って、七夕の夜に吉田川に流しに行ったことを思い出します。」

K:「30年前、水戸にいたころ那珂川に七夕飾りを流しに行ったことです。」

4.蛍の話…K

何年か前に能登町の国重に蛍を観に行ったとき、木ろう川が流れる田んぼに無数のホタルが舞い、それにつながった杉の木の森林にも蛍が飛び交っていました。目を上に向けると空には満天の星、ホタルも木々の上、高く飛んでいて星か蛍かわからない幻想的な風景が広がっていました。

毎年6月下旬~7月上旬、能登町国重地区に無数のホタルが舞う季節を迎えます。ここでは見たことのないくらいたくさんの源氏蛍を見ることができます。来年は皆で観に行きたいです。

~皆さんの願いがかなえられますように。~